TOP ≫ オレたちゴチャ・まぜっ! ≫ 加藤浩次、『めちゃイケ』前身番組はナイナイ・よゐこの番組だったと語る「俺らは補欠みたいな感じだった」
加藤浩次、『めちゃイケ』前身番組はナイナイ・よゐこの番組だったと語る「俺らは補欠みたいな感じだった」
2014.12.23 (Tue)
2014年12月20日放送のMBSラジオのラジオ番組『極楽加藤・よゐこ有野のオレたちゴチャ・まぜっ!~集まれヤンヤン~』(毎週土 26:00 - 28:45)にて、お笑い芸人・加藤浩次が、フジテレビ系の番組『めちゃめちゃイケてるッ!』の前身番組『とぶくすり』では、ナインティナイン・よゐこがメインで、その共演者という立ち位置であったことについて語っていた。
とぶくすりベスト
徳井健太:『新しい波』に出るチャンスは、(吉本バッタモンクラブに出演していたメンバーは)みんなあったってことですかね?
遠藤章造:でもね、ほとんど年齢は変わらへんかったけど…(『新しい波』出演者は)もう抜けてはったわ。場数が違う。俺らは月1回しかやってないし。たまに俺ら落ちたりするから。
徳井健太:へぇ。
遠藤章造:ほんなら、出られへんから。
吉村崇:丸一ヶ月は何もないんですか?
遠藤章造:何もないねん。
加藤浩次:バイトしてたよなぁ。
有野晋哉:バイト楽しかったですね。
加藤浩次:でも、ほとんどしたことないだろ?よゐこは。
有野晋哉:20歳くらいまではやってましたよ。
加藤浩次:20歳までだよ(笑)
吉村崇:俺、26~7までやってましたよ。
遠藤章造:そっから、この仕事でメシ食ってるってことですか?
加藤浩次:そうだよ。
遠藤章造:凄いな、それ。めちゃくちゃエリートですね。
有野晋哉:でも、一人暮らしじゃなかったから。
加藤浩次:『新しい波』が20歳だよな?
有野晋哉:19ですね。
吉村崇:はんにゃじゃないですか。
有野晋哉:ううん、(はんにゃじゃなく)よゐこ(笑)
吉村崇:ふふ(笑)
加藤浩次:矢部も20歳、岡村、21歳だから。俺が22歳。
吉村崇:早いっすね、やっぱり売れるの。
加藤浩次:ただ、俺らは25まで…山本は一回もバイトしたことないけど。
遠藤章造:ふふ(笑)お金はなかったけどね(笑)
加藤浩次:カネはなかったけど、山本は一回もバイトしたことなかった。
遠藤章造:お金の工面がホンマ上手いねん(笑)
加藤浩次:一時期、ダスキンで働いてたけどな(笑)
徳井健太:どうしたんですか、急に(笑)
加藤浩次:原チャリでマット交換してたんだよ(笑)
遠藤章造:聞いたことありますね。
加藤浩次:そこから、ドーンって、よゐことかナインティナインが仕事増えて。俺らは細々、レギュラー1本あるかないかくらいで。
徳井健太:『新しい波』だけでは、メシ食えてないってことですか。
加藤浩次:『新しい波』の後に、すぐに『とぶくすり』始まって。
遠藤章造:『とぶくすり』だけでもメシ食える感じじゃないと思うで。それこそ、学園祭とかいっぱい呼ばれてた時代でしょうけど。
加藤浩次:『とぶくすり』の最初の深夜番組のギャラが、5,000円だよ。30分の深夜番組のレギュラーで。
徳井健太:それでは食えないですよね。
徳井健太:厳しい。
加藤浩次:俺らなんか補欠みたいな感じだったから。『とぶくすり』が始まった時に。ナインティナインとよゐこの番組だったから。そこに俺らがお邪魔するって感じだったから。
遠藤章造:そうでしたね。観てたけど、そうやったなぁ。
加藤浩次:ギリギリだもん。
徳井健太:そこにオアシズさんっていうのは、いるんですか?
加藤浩次:光浦だけいて。
徳井健太:オアシズなのに?
加藤浩次:うん。
吉村崇:特殊だなぁ。
徳井健太:同期くらいですか?
有野晋哉:一緒くらいなんじゃない?でも、大学行きながらみたいな。
徳井健太:ああ、あそこ(当時の人力舎)も養成所じゃないから。
有野晋哉:学生やりながらやってたな。
【関連記事】
加藤浩次 「とぶくすり時代、1本の出演料5千円だった」
ココリコ遠藤、大阪出身なのに東京で芸人を志した理由「コンビ2人とも大阪で揉まれて芸人はできないと思った」
加藤浩次「チャンスは与えられるのでなく自ら得るものだ」
とぶくすりベスト
徳井健太:『新しい波』に出るチャンスは、(吉本バッタモンクラブに出演していたメンバーは)みんなあったってことですかね?
遠藤章造:でもね、ほとんど年齢は変わらへんかったけど…(『新しい波』出演者は)もう抜けてはったわ。場数が違う。俺らは月1回しかやってないし。たまに俺ら落ちたりするから。
徳井健太:へぇ。
遠藤章造:ほんなら、出られへんから。
吉村崇:丸一ヶ月は何もないんですか?
遠藤章造:何もないねん。
加藤浩次:バイトしてたよなぁ。
有野晋哉:バイト楽しかったですね。
加藤浩次:でも、ほとんどしたことないだろ?よゐこは。
有野晋哉:20歳くらいまではやってましたよ。
加藤浩次:20歳までだよ(笑)
吉村崇:俺、26~7までやってましたよ。
遠藤章造:そっから、この仕事でメシ食ってるってことですか?
加藤浩次:そうだよ。
遠藤章造:凄いな、それ。めちゃくちゃエリートですね。
有野晋哉:でも、一人暮らしじゃなかったから。
加藤浩次:『新しい波』が20歳だよな?
有野晋哉:19ですね。
吉村崇:はんにゃじゃないですか。
有野晋哉:ううん、(はんにゃじゃなく)よゐこ(笑)
吉村崇:ふふ(笑)
加藤浩次:矢部も20歳、岡村、21歳だから。俺が22歳。
吉村崇:早いっすね、やっぱり売れるの。
加藤浩次:ただ、俺らは25まで…山本は一回もバイトしたことないけど。
遠藤章造:ふふ(笑)お金はなかったけどね(笑)
加藤浩次:カネはなかったけど、山本は一回もバイトしたことなかった。
遠藤章造:お金の工面がホンマ上手いねん(笑)
加藤浩次:一時期、ダスキンで働いてたけどな(笑)
徳井健太:どうしたんですか、急に(笑)
加藤浩次:原チャリでマット交換してたんだよ(笑)
遠藤章造:聞いたことありますね。
加藤浩次:そこから、ドーンって、よゐことかナインティナインが仕事増えて。俺らは細々、レギュラー1本あるかないかくらいで。
徳井健太:『新しい波』だけでは、メシ食えてないってことですか。
加藤浩次:『新しい波』の後に、すぐに『とぶくすり』始まって。
遠藤章造:『とぶくすり』だけでもメシ食える感じじゃないと思うで。それこそ、学園祭とかいっぱい呼ばれてた時代でしょうけど。
加藤浩次:『とぶくすり』の最初の深夜番組のギャラが、5,000円だよ。30分の深夜番組のレギュラーで。
徳井健太:それでは食えないですよね。
徳井健太:厳しい。
加藤浩次:俺らなんか補欠みたいな感じだったから。『とぶくすり』が始まった時に。ナインティナインとよゐこの番組だったから。そこに俺らがお邪魔するって感じだったから。
遠藤章造:そうでしたね。観てたけど、そうやったなぁ。
加藤浩次:ギリギリだもん。
徳井健太:そこにオアシズさんっていうのは、いるんですか?
加藤浩次:光浦だけいて。
徳井健太:オアシズなのに?
加藤浩次:うん。
吉村崇:特殊だなぁ。
徳井健太:同期くらいですか?
有野晋哉:一緒くらいなんじゃない?でも、大学行きながらみたいな。
徳井健太:ああ、あそこ(当時の人力舎)も養成所じゃないから。
有野晋哉:学生やりながらやってたな。
【関連記事】
加藤浩次 「とぶくすり時代、1本の出演料5千円だった」
ココリコ遠藤、大阪出身なのに東京で芸人を志した理由「コンビ2人とも大阪で揉まれて芸人はできないと思った」
加藤浩次「チャンスは与えられるのでなく自ら得るものだ」
同番組の過去記事
| トップページへ |