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伊集院光、愛憎入り混じるニッポン放送への思いを語る「ラジオの基本を叩きこまれた」

2014.07.15 (Tue)
2014年7月15日放送のニッポン放送系の開局60周年記念番組である『ラジオで聴いた忘れられぬミュージック』に、お笑い芸人・伊集院光が出演し、ニッポン放送時代からの古い付き合いでありラジオパーソナリティの"恩師"でもある上柳昌彦との対談を行っていた。

のはなしし
のはなしし

伊集院光は、1987年に落語家時代の元兄弟子の放送作家・石田章洋(三遊亭花楽京)から誘われ、ニッポン放送のお笑いオーディション番組『激突!あごはずしショー』に出演した。その縁もあり、1988年10月より冠番組『伊集院光のオールナイトニッポン』を開始し、1995年4月に降板するまで人気番組となっていた。

落語からお笑い芸人としての活動の第一歩、そしてラジオパーソナリティとしての第一歩は、ニッポン放送である。基礎を叩きこまれ、多くの愛憎入り混じる感情を抱きつつも、振り返ると多くを学んだ場でもあるという。

ラジオ番組のネタ選びを一から行い、長時間に渡って自分で全て選ぶ、という習慣はニッポン放送で培われたのだという。「ディレクターが、『お前、ヒマなんだから、ヒマなときにちゃんとネタ選びとかしておきなよ』って言われて」と、自分自身で選ぶことを始めた、と伊集院は語っていた。

さらに、TBSラジオでの番組『伊集院光 日曜日の秘密基地』で放送されていた『秘密キッチの穴』という、視聴者参加型の質問・相談回答コーナーは、松任谷由実とオールナイトニッポンを二人三脚で盛り上げていたディレクター・松島宏氏に「ラジオは、大勢の人が聴いている。大勢の人が、色んなことを教えてくれるっていう喜びを知るようなコーナーがなきゃダメだ」と教えられて思いついたものだったそうだ。

もちろん、良いことばかりではなく、愛憎の"憎"の部分もあってニッポン放送での番組を降板した経緯もあるが、「結局、あそこに関しては、ニッポン放送に悔しいが、教わったことだ」と思うこともある、と伊集院は語っていた。

上柳昌彦:伊集院さんは、とにかく準備の時間が長い人じゃないですか。

伊集院光:はい。これが凄い役立ってるのは、ニッポン放送に久しぶりに来るのに、やっぱりニッポン放送に基本を叩きこまれて。その後、愛憎あるわけですよ。そこが狭苦しくなったり、息苦しくなったりして。

上柳昌彦:うん。

伊集院光:その後、違う放送局に移って、長くやるんですけど。ニッポン放送で、「これ違うんじゃないか?」っていう愛憎の"憎"の方は、新しい方で直せばいいけど、逆に言えば、行った先の局にはないけど、ニッポン放送で培ったもの、"愛"の部分を上手くブレンドさせてもらってるなって思うのは、未だに早く入って、延々とネタを選んでたことなんですよね。

上柳昌彦:あぁ、はい。

伊集院光:その時のディレクターが、「お前、ヒマなんだから、ヒマなときにちゃんとネタ選びとかしておきなよ」って言われて。

上柳昌彦:うん。

伊集院光:ハガキ、持ち出すわけにはいかないから、来てずっと選んでたんだけど、今はメールで転送できるんですけどね。当時は、ずーっとそこのレコード室とかでハガキを読んでたんですけどね。

上柳昌彦:うん。

伊集院光:未だに、今やってるラジオも、一から自分でメールは選ぶんです。それで、週3日、メールを転送してもらって、一から選んでるんです。

上柳昌彦:これはね、もう帯の番組できないね。やらせちゃいけない人なんです、この人は。

伊集院光:ふふ(笑)だから、人に任せるのはヘタになりましたね。ここ逆に、「なんでも自分で頑張れ」って言われる局だったから、そうすると今の新しい局は、テレビもラジオもある局だから、割りと共同作業の局だけど、基本の最初、1人で徹底的に頑張るってやっちゃったもんだから、それは良くも悪くも、人に任せるのはヘタですね。

上柳昌彦:さすがに、今は深夜ってなかなか聴ける生活じゃないけど、『伊集院光 日曜日の秘密基地』は、子供が本当に小さかったんで、散歩をしながら聴いてて。

伊集院光:はい。

上柳昌彦:上手いこと考えたなって、未だに忘れない企画があって。野球のカードがあるんですよ。それは、キャラメルの中のおまけでついてて。紅梅キャラメルっていうので。

伊集院光:おじいちゃんたちの子供の頃にあった…

上柳昌彦:紅梅キャラメルって、僕もなんとなく知ってるんですよ。そのことを、みんなで調べようぜって企画をやってて。っていうことは、若い頃は何も知らない。僕らは「紅梅キャラメルってなんか記憶にあるな」、年配の方は「おお、懐かしいな」って、みんなが参加できる、上手い企画だなって思いましたね。

伊集院光:アレは、この局に昔いた、松島(宏)ディレクターっていう、まぁイヤなディレクターがいたんですよ。この人、イヤなディレクターなんですけど、完璧なんですよ。ラジオ論が。

上柳昌彦:俺の同期なんだ(笑)

伊集院光:はい。それこそ、ユーミンさんをオールナイトニッポンに引っ張ってきて、ユーミンさんと二人三脚でオールナイトニッポンをデカくしたような人なんですよ。

上柳昌彦:『バレンタインズ・レディオ』を作らせたのも松島で。ラジオの曲を作ってくれって言ってね。

伊集院光:あの人が、「ラジオは、大勢の人が聴いている。大勢の人が、色んなことを教えてくれるっていう喜びを知るようなコーナーがなきゃダメだ」っていう話をしてたの。それで、僕はそのコーナーを作ったんです。誰かの悩みを、みんなが解決するコーナーを作ったのは、その時に始めてラジオを担当するアシスタントの女性アナウンサーに、「ラジオって面白いでしょ?」っていうのを教えるのに、「あの松島さんってイヤなディレクターが言ってたのは、こういうことだ」っていうことで作ってるから。

上柳昌彦:あぁ。

伊集院光:やっぱり、ここで教わった基本みたいなものを、向こうでひけらかして、いい目にはあってるんです。

上柳昌彦:あぁ。

伊集院光:その先の、ディレクターの「こうしたら良い。こうまとめたら良い」っていうのは、もちろん足されてはいるけど。…実は、局によって全然違うんですよ。カフ(音声をオン・オフするレバー・ボタン)は、TBSにはないですからね。

上柳昌彦:そうですね。

伊集院光:行くとビックリしますよ。

上柳昌彦:逆だったりしますね。聴かせたくないときにボタンを押したり。

伊集院光:そんな不思議なシステムもあったりして。咳払いしたときだけ、ボタンを押して一瞬、切れるっていう装置とか。主導権がコッチがわじゃないっていう。

上柳昌彦:うん。

伊集院光:その装置は、「こういうときは、こっちの装置がいいけど、そうじゃないときは、向こうが良い」っていうのが、2局行ったおかげで分かるようになったりとか。

上柳昌彦:なるほどね。

伊集院光:その愛憎の、憎の部分はやめておきますけど(笑)「結局、あそこに関しては、ニッポン放送に悔しいが、教わったことだ」っていうね。

上柳昌彦:うん。

伊集院光:古田新太さんっていうのは、その松島ディレクターと侃々諤々しながらラジオしてた人ですけど、他局ですれ違いざまに話したのが、「まぁ、こんなこと言う年になっちゃったけど、ニッポン放送は、青春だったということで、しょうがないよね」みたいな感じ(笑)

上柳昌彦:うん。

伊集院光:青春にありがちな、本当にありがたいところ、本当に悔しいところと、全部ここにあって。

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タグ : 伊集院光,上柳昌彦,ニッポン放送,

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