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伊集院光が語る「ラジオパーソナリティとしてデビューした経緯」

2011.09.07 (Wed)
2011年09月05日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、伊集院光がラジオパーソナリティとしてデビューした経緯について語っていた。

伊集院光「20何年経ってますから言いますけど、当時、僕はキャラ者だったんですよ。キャラ者で、キャラがついてて。これには、色んな事情があって」

「僕は、古典落語の修行中なんです。三遊亭楽太郎、今の円楽の弟子をやってて、弟子をやってるんだけど、落語に行き詰まってる感もあり、落語を続けながら、たまたまご縁があってニッポン放送のオールナイトニッポンをやってるわけ」

「落語では、三遊亭楽大って名前をつかってて、ニッポン放送ではこの伊集院光って使ってたんです。将来、どうやって生きていくかっていうと、やっぱり落語家で生きていこうって僕は多分、思っていると思うんです。その当時で、4~5年やってて、ちょっと落語家としての階級も上がる直前だったので」

「それで、そのニッポン放送でラジオをやるっていうのは、それはそれで新鮮なんです。メディアに出るってことだから、すごい新鮮だし、嬉しい自分の城なワケ。だけど、師匠にも内緒でやってるから、そのキャラ者、キャラをつけてやらなきゃいけないし、ニッポン放送サイドも、落語家であるってことは、正直、邪魔だって考え方を持ってるワケ」

「だから、伊集院光っていうキャラクターで、その落語家をやってた期間はどうしようかっていうのを、そのキャラの中のプロフィールを、『イタリアに留学してました』みたいなキャラになってたワケ。これは、今で言う『コリン星に居ました』っていうのと、それほど変わってない感じのキャラ付けなの」

「そもそもニッポン放送に行くことになった時に、最初にゴングショー形式のネタ番組に行くのに、持って行ったネタっていうのが、古典落語に飽きてた自分が、古典落語は古典落語で、それと別に立ちの一人コントみたいなのをやってたの」

さらに、以下のように語っていた。

「その中の一つに、オペラ界ではスゴイ有名なのに、CMで『ヒジクリーン』っていう黒ずんだ肘をキレイにするクリームの『♪ヒジピ~カピカ、ヒジクリ~ン』っていう歌を唄うのに、スゴイ若いディレクターにダメ出しされて、キレるけどお金が欲しいので真面目に唄うっていうコントを持ち込んだの。だけど、『それ長いね』って言われて」

「『そのクダラナイ歌詞をオペラの感じで歌うのだけが面白いから、オペラ歌手だって嘘ついて、クダラナイ歌詞をいっぱい歌おう』って言われて。3分ネタ、1分ネタくらいのネタでゴングショーに出て。それで、変わったヤツいるねってことで、オールナイトニッポンになっていくから」

「そのよく分からない『オペラ歌手です』ってキャラね。だけど、ところどころで、『東京都立足立新田高校の声楽家を中退してます』とか、『イタリアに10年修行したんですけど』って言いながら、年齢が合ってないとか。『今まで受賞した賞は、モンドセレクション』っていう、基本、たべっこどうぶつとか、ハムがとるヤツをとってる、みたいな経歴がちりばめられてるから、俺からしてみれば、『ネタとして成立している』って思うワケ。ネタとしてこれは成立してるから、信じてるヤツはいないだろうって思ってやってる」

「だけど、色んなことを言われるの。20歳である意味大抜擢されて、ワケの分からないヤツがオールナイトニッポンをやってる状態。今みたいな状態なワケ。本人がよく分かってないんだから。俺がなんだか分からない状態でオールナイトニッポンやってるんだから。その中で、スゴイ敏腕なディレクターと、中堅でヒットメーカーな放送作家が気に入ってくれて、この人たちがすごいアドバイスをくれるの」

「コレと別に、オッサンのディレクターと、若手の放送作家がいて。この4人で事が進んでいくの。今聞けばすごい理解できるんだけど、ヒットメーカーの放送作家が、『下町の子、みたいな口調はウケない。自分のことを呼ぶ時は、"わたし"って呼ぶように。基本、べらんめぇ調になるのは、トレンディーじゃないね』ってことで(笑)基本的に、『です、ます。"わたし"を使った方が良い』って言われて」

「あと、敏腕ディレクターは『女性のお客さんをつけたいから、下ネタはできるだけやめていこう』っていう(笑)想像もつかないでしょ?そこのタマキンとヴァ○ナにはまったく想像つかない話でしょ?なんでそこを繰り広げようとしてるんだよ(笑)いつもよりヒドイじゃないか。いつもはあんまヴァ○ナとか言わないじゃないか(笑)」

「今としては、戦略としては分かる。今思えばさらに、『それを心のどこかに留めておけばいい』みたいな話だったと思う。グチをこぼせるのは、その同期の放送作家のSさんだけで。それと板挟みになりながらいて。ちょっとカッ飛んだトークをしようとしたときに、ヒットメーカーの放送作家が顔を出したりしてくれるの」

「その時に、『今日、どんな話をしようとしてるの?』って言われるワケ。今思えば、それはありがたいことなんだけど、一回喋っちゃうっていう新鮮味と、そこでその人が『そこはこうした方が良い』っていうことを本番で入れる照れ、とかが戦って、どうしたらいいのか分からなくなってた」

「それで、ベテランのディレクター、ニッポン放送の子会社のディレクターは、夜3時からのオールナイトニッポンのキューを振ってたから、『イイんじゃん?ノリでやっちゃえば』って感じで。でも、敏腕ディレクターはスゴイ計算をするから、『こういうものを取り入れた方が良いよ』って言うの。この葛藤の中で、自分がワケ分かんなくなってた」と語っていた。

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