2008.08.09 (Sat)
「おちまさと」って何者か?
民主党の小沢一郎代表(66)が初めて「総理大臣宣言」した本が話題になっている。1日に発売された「小沢一郎総理(仮)への50の質問」がそれで、すでに総理になっているという前提に立ち「一番好きな食べ物は?」「好きな女優は?」「下着はブリーフ派、トランクス派」など、主にプライベートな質問に答えている。しかし、最後の50番目の質問「総理大臣になるんですか?」に対して「はい、やります」と言い切った。
小沢代表にズバズバと質問を浴びせたのは、テレビ番組などを手がけるプロデューサーのおちまさと氏(42)。政界とはあまり縁がないが、芸能界ではかなりの有名人だ。
「テリー伊藤が主宰する『放送作家塾』出身で、今では、“料理の鉄人”の小山薫堂と並ぶ売れっ子構成作家。ほかに脚本・作詞を手がけ、ノウハウ本を出版。自ら“対談師”と称し、アーティスト、デザイナー、起業家などを引っ張り出して週刊誌などで対談、“成功哲学”を語らせています。小沢代表へのインタビューはこの延長線上にあります。芸能界だけにとどまらず、活躍の場を広げています。なんでもやれる娑婆(しゃば)っ気のある人。秋元康よりも多才です」(放送界に詳しいジャーナリスト)
06年9月に写真週刊誌で、未成年アイドルと深夜に飲酒していたことが報じられたのがスキャンダルらしきもの。本人は政界進出に色気があるかも。
ところで小沢代表はこの6月には「選・小沢一郎あちきの浮浪雲 傑作十選」を出版。これは愛読している連載漫画「浮浪雲(はぐれぐも)」の中から、自ら10作をえりすぐったものだ。“脱政治本”を相次いで出した背景には、懐の深さを国民にアピールする狙いがあるようだ。いよいよ政権取り総選挙に突入か。
(小沢一郎本の共著「おちまさと」って何者か?)
「おちまさと」という構成作家を知っている人も、多いのではないだろうか。バラエティ番組の最後に、高速のテロップが流れ、その中に平仮名だけの名前「おちまさと」が一際目立つ、といったことも感じていらっしゃる方もいるのではないだろうか。
たしか、『ガチンコ!』や『学校へ行こう』のテロップで見かけた気がする、といったことは覚えていたが、それ以外の予備知識はまったくなかった。果たして、どんな人物なのか、とwikiで調べると、
ナイナイのANNにて、『天才・おちまさとプロデュース』なるコーナーがあり、「こんなものまでプロデュースしているのか」といったことを募集していたが、それを地でいくような感じの人のようだ。
小沢代表にズバズバと質問を浴びせたのは、テレビ番組などを手がけるプロデューサーのおちまさと氏(42)。政界とはあまり縁がないが、芸能界ではかなりの有名人だ。
「テリー伊藤が主宰する『放送作家塾』出身で、今では、“料理の鉄人”の小山薫堂と並ぶ売れっ子構成作家。ほかに脚本・作詞を手がけ、ノウハウ本を出版。自ら“対談師”と称し、アーティスト、デザイナー、起業家などを引っ張り出して週刊誌などで対談、“成功哲学”を語らせています。小沢代表へのインタビューはこの延長線上にあります。芸能界だけにとどまらず、活躍の場を広げています。なんでもやれる娑婆(しゃば)っ気のある人。秋元康よりも多才です」(放送界に詳しいジャーナリスト)
06年9月に写真週刊誌で、未成年アイドルと深夜に飲酒していたことが報じられたのがスキャンダルらしきもの。本人は政界進出に色気があるかも。
ところで小沢代表はこの6月には「選・小沢一郎あちきの浮浪雲 傑作十選」を出版。これは愛読している連載漫画「浮浪雲(はぐれぐも)」の中から、自ら10作をえりすぐったものだ。“脱政治本”を相次いで出した背景には、懐の深さを国民にアピールする狙いがあるようだ。いよいよ政権取り総選挙に突入か。
(小沢一郎本の共著「おちまさと」って何者か?)
「おちまさと」という構成作家を知っている人も、多いのではないだろうか。バラエティ番組の最後に、高速のテロップが流れ、その中に平仮名だけの名前「おちまさと」が一際目立つ、といったことも感じていらっしゃる方もいるのではないだろうか。
たしか、『ガチンコ!』や『学校へ行こう』のテロップで見かけた気がする、といったことは覚えていたが、それ以外の予備知識はまったくなかった。果たして、どんな人物なのか、とwikiで調べると、
どうやら、(枚数的には少ないが)ハガキ職人→構成作家というルートを辿ってきようだ。その後は、43歳(2008年時点)。『ビートたけしのオールナイトニッポン』の熱心なリスナーであり、ハガキ職人だった。毎週投稿するも読まれたのは2、3回。とんねるずのオールナイトニッポン』にも毎週のようにハガキを送るが読まれたのは二枚。
とのことのようだ。現在、テレビ番組やインターネットサイトのプロデュースの他、CD、DVD、書籍、企業ブランディングや広告などの企画・演出・プロデュースなどを行っているようである。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)で、テリー伊藤の主催する「放送作家塾」にハガキで応募し見事当選。(株)ロコモーションに入り放送作家デビュー。
ナイナイのANNにて、『天才・おちまさとプロデュース』なるコーナーがあり、「こんなものまでプロデュースしているのか」といったことを募集していたが、それを地でいくような感じの人のようだ。
2008.08.09 (Sat)
三遊亭楽太郎 師匠、「円楽」襲名へ
日テレ系演芸番組「笑点」でおなじみの落語家・三遊亭楽太郎(58)が6代目・三遊亭円楽を襲名することが8日までに決まった。楽太郎は還暦となる2010年春の襲名披露で全国ツアーを行う予定で週明けにも会見を開く。
昨年2月に落語家引退宣言した5代目・円楽は7月末に、東京・中野の自宅にまな弟子・楽太郎を呼び、自分の名跡を譲ると宣言した。「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」と円楽は後継者に指名した。落語家の名跡の“生前贈与”は極めて異例で、円楽は「本名の吉河寛海(よしかわ・ひろうみ)に戻るだけですよ」としている。
楽太郎は「楽太郎という名前にも愛着があるが、師匠が大きくした名前なので責任を感じる。師匠の“押し出し”、貫録にはかなわないが、(自分は)面白くわかりやすい落語をやっていく」と決意を語った。
この日は、落語協会・鈴々舎馬風会長(68)、落語芸術協会・桂歌丸会長(71)から祝福の電話が届き、上方落語協会・桂三枝会長(65)からは激励のメールが届いた。楽太郎は「襲名の口上に出席してほしい」と会派の垣根を越えた襲名披露にしたい意向を口にした。
(楽太郎「責任感じる」…6代目円楽襲名 週明けにも会見)
三遊亭楽太郎が、伊集院光の師匠であることは有名な話ではないだろうか。
伊集院が落語家であったとき、「三遊亭楽大」という芸名をつけた本人が、三遊亭円楽であった。実は、三遊亭円楽−三遊亭楽太郎−伊集院光は、直系とでもいうべき師弟関係にあった。
そうした師弟関係にあり、伊集院が目撃した「円楽の楽太郎を信頼する度合い」たるや、スゴイものがあったそうだ。何かと困ったことがあった時には、円楽は「楽太郎しか頼めない」といったことを口にするのだという。
その陰には、楽太郎の"陰の努力"があったからだという。たとえば、円楽が黙って手を出したとき、それが『タバコが欲しいのか、のど飴が欲しいのか、それとも扇子を渡せということなのか』といった違いを完璧に把握して、物を渡していたという。伊集院には、何を要求されているのか、まったく分からなかったという。
さらに、「テレビが映らなくなった」と円楽が言い出した時のこと。明らかにコンセントが差さっていないだけ、ということが誰の目にも明らかでも、一応、テレビの中を開け、配線を差し直し、周りを掃除してコンセントを差し、「はい、師匠。直りました」と言うのだという。円楽は「楽太郎はテレビも直せる」と感心しきりだったという。
他にも、「頼み事がある」と神妙な声で深夜に、円楽が楽太郎へ電話をかけてきたときのこと。弟子が数名、『何事か』とやってきた。するとおもむろに「楽太郎、この書類のコピーを頼む」と言い出したのだという。
伊集院は気を利かせ、「それくらい、ボクがやっておきますよ」と書類を受け取ろうとしたところ、円楽は「楽太郎にしか任せられない!」と、楽太郎に頼んだという。昔は、コピーするのにも面倒な手順を踏む必要があり、失敗することも多かった、という印象が円楽には強かったようだ。そのため、深夜にもかかわらず、かたくなに楽太郎に依頼した、ということもあるが、楽太郎の信頼は絶大だった。
こうした背景もあるため、「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」というのも分かる気がするのではないだろうか。
昨年2月に落語家引退宣言した5代目・円楽は7月末に、東京・中野の自宅にまな弟子・楽太郎を呼び、自分の名跡を譲ると宣言した。「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」と円楽は後継者に指名した。落語家の名跡の“生前贈与”は極めて異例で、円楽は「本名の吉河寛海(よしかわ・ひろうみ)に戻るだけですよ」としている。
楽太郎は「楽太郎という名前にも愛着があるが、師匠が大きくした名前なので責任を感じる。師匠の“押し出し”、貫録にはかなわないが、(自分は)面白くわかりやすい落語をやっていく」と決意を語った。
この日は、落語協会・鈴々舎馬風会長(68)、落語芸術協会・桂歌丸会長(71)から祝福の電話が届き、上方落語協会・桂三枝会長(65)からは激励のメールが届いた。楽太郎は「襲名の口上に出席してほしい」と会派の垣根を越えた襲名披露にしたい意向を口にした。
(楽太郎「責任感じる」…6代目円楽襲名 週明けにも会見)
三遊亭楽太郎が、伊集院光の師匠であることは有名な話ではないだろうか。
伊集院が落語家であったとき、「三遊亭楽大」という芸名をつけた本人が、三遊亭円楽であった。実は、三遊亭円楽−三遊亭楽太郎−伊集院光は、直系とでもいうべき師弟関係にあった。
そうした師弟関係にあり、伊集院が目撃した「円楽の楽太郎を信頼する度合い」たるや、スゴイものがあったそうだ。何かと困ったことがあった時には、円楽は「楽太郎しか頼めない」といったことを口にするのだという。
その陰には、楽太郎の"陰の努力"があったからだという。たとえば、円楽が黙って手を出したとき、それが『タバコが欲しいのか、のど飴が欲しいのか、それとも扇子を渡せということなのか』といった違いを完璧に把握して、物を渡していたという。伊集院には、何を要求されているのか、まったく分からなかったという。
さらに、「テレビが映らなくなった」と円楽が言い出した時のこと。明らかにコンセントが差さっていないだけ、ということが誰の目にも明らかでも、一応、テレビの中を開け、配線を差し直し、周りを掃除してコンセントを差し、「はい、師匠。直りました」と言うのだという。円楽は「楽太郎はテレビも直せる」と感心しきりだったという。
他にも、「頼み事がある」と神妙な声で深夜に、円楽が楽太郎へ電話をかけてきたときのこと。弟子が数名、『何事か』とやってきた。するとおもむろに「楽太郎、この書類のコピーを頼む」と言い出したのだという。
伊集院は気を利かせ、「それくらい、ボクがやっておきますよ」と書類を受け取ろうとしたところ、円楽は「楽太郎にしか任せられない!」と、楽太郎に頼んだという。昔は、コピーするのにも面倒な手順を踏む必要があり、失敗することも多かった、という印象が円楽には強かったようだ。そのため、深夜にもかかわらず、かたくなに楽太郎に依頼した、ということもあるが、楽太郎の信頼は絶大だった。
こうした背景もあるため、「楽太郎は人を束ねていく力もあるし、(継ぐのは)アイツしかいない」というのも分かる気がするのではないだろうか。
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